Midori Nishiura
THE SPACE
宇宙の窓から
西浦みどり

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Midori Nishiura

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山崎直子

宇宙飛行士 山崎直子が行く

Naoko Yamazaki

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若田光一

宇宙飛行士 若田光一メッセージ

Koichi Wakata

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若田光一

宇宙界の一員になって良かったことは多々あり。直子さん、山川さんとも仲良しになったということも、ひとつですが、若田光一さんは、私のチャンプ、何かと頼れる”兄貴”です。若田さんは、私がJAXAで頑張っているときから一貫して、「宇宙界に新風を吹かせて国内外ともに大きく貢献してくれた」・・・と言い続けてくれている大切な親友、応援団の中でも特別な存在。退職を考えたときも、「辞めないで」と、言ってくれたひとりでもあります。宇宙(ISS)からも電話をくれたときには、ホント舞い上がる気持ちでした! 私のウエブサイトを見て、このメッセージも贈ってくれて、写真も、どれでも好きなのを使っていいよ~と、スカッと男気満点。やっぱり、コマンダーだなーと、つくづく感じます。

Koichi, many many thanks for your unwavered friendship and great support!

このセクションは、kaankssをご好評いただきました読者の皆様からのリクエストに従い、設けました。
よく聞かれる質問なので、少し長くなりますが、まずは、私と宇宙航空の世界との接点を説明いたします。
スタートは、2005年に遡ります。当時の理事長であった、旧知の立川敬二さんとの対談がきっかけでした。

この対談は、私が数年間にわたって外部評価委員をつとめていた日本赤十字社医療センターの広報誌、TEA TIMEに掲載されました。 2004年にJAXA理事長に就任されていた立川氏より、「国民の皆様に、もっと宇宙に関心を持ってもらえたら・・」というご相談を受けたので、TEA TIMEの巻頭対談にお招きしたわけです。
ちょうど、外部評価員のほかに、広報誌の編集長も兼務していましたので、タイムリーでした。
当時は、JAXAという組織名も一般認知度が低く、2009年に「はやぶさ」帰還で爆発的な人気により一気に認知度上昇する前の話です。 しかも、2003年以前、過去の度重なる打ち上げ失敗の歴史が重くのし掛かっており、大変だったと思います。 対談では、新生JAXAの取り組みを、立川氏にたっぷりと語っていただきました。

さて、その数ヶ月後には、宇宙長期滞在から無事帰還された野口聡一宇宙飛行士とも対談の機会を同誌で設けました。 そのときです、野口さんの宇宙に関するお話に、すっかり魅了されてしまいました!
そうなると、自分なりにいろいろと知りたくなり、調べてみたり、方々で話題にするようになりました。

2006年には、物資輸送機「こうのとり」の打ち上げに、種子島に招待されました。間近で見る打ち上げは、圧巻! その後、JAXA産学官連携部発案支援の「スペース☆クチュール☆Designコンテスト」の審査員もつとめ、当時レギュラー出演していたテレビ番組でも宇宙、JAXAをPRするよう心がけていました。

その間、当時、東京大学教授・松井孝典先生が主催していらした「地球維新塾」にも参加し、勉強を続けていました。 松井先生のお話は面白く、楽しく勉強できたことに感謝!ますます、引き込まれていきました。

そうこうしているうちに、立川氏より、「JAXAでは、優れたエンジニアは多いが、広報や国際関係部門はこれから人材育成をしなければならない、手伝って」とお声をかけていただきました。
私のほうからも、長年にわたり各国大使外交団との親しい交流も重ねてきたことや、グローバル広報のエキスパート、国際総合コンサルタントとして、役に立てることがあるのでは思い、提案したと思います。
いずれにせよ、NTTドコモでは、社員研修や、アドバイザリーボードの委員としても、マーケティングやIR、お客様、メディア対応についてのアイデア、アドバイスを提供していましたから、仕事ぶりが多少なりとも評価されていたのでしょう。

2009年2月より、JAXAのアドバイザー(広報・国際担当)に就任しました。嘱託契約を結んだわけです。 さあ、来てみると別世界、まさに宇宙ですね(笑)。一般企業や、まして外資などとはまったく異文化異次元ワールド。
それが、私にとって、最大の魅力でもありました。要は、チャレンジ精神が刺激されたのです。
自分のエキスパティーズを発揮するには、一にも二にも宇宙航空分野の勉強をしなければと思いました。
そこで、ロケットの専門家、衛星の専門家などなど、それぞれの分野で技術的なことを、日本が誇るトップクラスのエンジニアたちから教えてもらいました。こっそりとですが(笑)。
これが楽しかった!退職した今でも、各部門のJAXA職員の方々とは交流が続いていますし、呑んでは語り合っています。
良き仲間が増えたことは、本当にラッキーでした。宇宙航空の世界とのきっかけを作ってくださった方々、任務に当たってあらゆる形で助けてくださった方々には、いつも感謝の気持ちを新たにしています。

2010年より、役員待遇の、エグゼクティブアドバイザー(広報・国際担当)に就任、JAXAの海外向け広報誌「JAXA TODAY」の編集長も兼務となりました。
この、役員待遇とは、ファーストフード店の名ばかり店長と同じで、実態は、土日も含めて全国を宇宙航空普及啓蒙のために行脚し、タウンミーティングで司会者をつとめるのは仕事のほんの一部で、海外での国際会議出席、日頃の部会からメディア戦略、永田町、霞ヶ関リレーションズ、などなど、まさに24時間体制の365日感がありました。

民主党政権誕生で事業仕分け予算大幅カット、いろいろありましたが、「はやぶさ」快挙の明るいニュースは日本を元気にしたと思っています。

JAXA事務所が、丸の内から新お茶の水に移転、それを機に、2013年に退職しました。が、その後も、個人として、宇宙航空関連の国内外のPRを続けています。
また、求められた折には、世界との協調協力態勢について、または、世界の中での日本の宇宙航空政策のアイデア提案につとめています。

宇宙飛行士 山崎直子が行く

私がJAXAを退職する2年前、2011年に退職した山崎直子さんとは、仕事をきっかけに知り合ってから意気投合。いわゆるウマがあう・・・といいますか、今では、フィーリングがあう、信頼しあう親友になりました。 そんなわけで、この、直子さんに捧げるこのコーナーも、彼女の許可とエールを得て掲載しています。 退職後の講演やテレビ番組などメディア露出イベント等の仕事を弊社でサポートしながら、パブリシストとしても直子さんの素晴らしい活動を広め応援しています。

母でもあり、宇宙飛行士でもあり、そして、ひとりの素敵な女性としての山崎直子さんの活動の中では、ほんの一部しかご紹介できませんが、お楽しみいただければ嬉しいです。

ファンの皆様のご期待に添うだけでなく、宇宙航空分野の仲間を応援する意味でも広めてまいります。

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